義は平和を作り出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。(イザヤ書32章17節)

1.詩篇85篇8節―13節
2.ローマ人への手紙4章25節―5章2節
3.ローマ人への手紙9章29節―10章4節
4.エペソ人への手紙2章14節―18節

アダムは神である主の声を聞くと園の木の間に身を隠し、善悪の知識の木から食べたことを咎められると、アダムはエバにエバは悪魔に責任転嫁をして自分の義に生きる者となり、神との関係だけでなく人間関係にひずみが入ってしまったのでした。イエス様が自分の義に生きていたパリサイ人や律法学者たちから苦しめられ、祭司長や長老たちにねたまれて十字架にかけられてしまったように、自分の義に生きていると他者を見下したり、自分の考えに固執したり、肉の行いに走ってしまうのではないでしょうか。自分の義に生きていた時のパウロはキリスト者を迫害していましたが、キリスト者となったパウロは神の義を知る者となり、同胞のユダヤ人が彼を迫害しているのは神に対して熱心でも神の義を知らないからであることを語るとともに、彼らが救われることを願われたのでした(ローマ人への手紙10章1節―4節)。キリストを信じる信仰によってキリスト者には神の義が与えられていますが、パウロがいつでも善をしたいのにそれができないことで葛藤したように、肉の思いの挑戦を受けて自分の義に足をすべらしてしまうようなことがあるのではないでしょうか。そのような時、今日の聖句「義は平和を作り出し、義はとこしえの平穏と信頼をもたらす。」を思い起こし、人には不可能な神との平和を与えてくださったイエス様(ローマ人への手紙5章1節)がどのように歩まれたかを(ヘブル人への手紙5章7節-10節)、恵みによって救われ義とされていることを思い起こし、主を信頼して生き続けようではありませんか。