もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。(ヨハネの福音書14章15節)
1.申命記6章4節―6節
2.エゼキエル書36章25節―27節
3. マルコの福音書12章28節―34節
4.ヨハネの手紙第一1章5節― 2章6節
イエス様は「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」と、愛することは、戒めを守るという行為によって証明されることを語っていますが、主が仰せられた「愛する」ということばはギリシャ語のアガパオで、人が生まれながら持ち合わせている情ではなく、十字架において示された神の愛であり、それは人の努力によって得られるものではなく、聖霊によって心に注がれるために(ローマ人への手紙5章5節)、イエス様との関係が不可欠です。ペテロはイエス様に「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと覚悟はできております。」と告白しましたが、イエス様が預言されたようにイエス様のことを三度知らない、と言ったのでした。死からよみがえられたイエス様がペテロに二度「あなたはわたしを愛しますか(アガパオ:神の愛で、愛しますか)」と尋ねると、彼は「はい。私があなたを愛する(フィレオ:友情)ことはご存知です。」と二度とも情によるものであることを告白したので、三度目にイエス様は「あなたはわたしを愛しますか(フィレオ)」と尋ねたので、ペテロは心を痛めて「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛する(フィレオ)ことを知っておいでになります。」と自分の愛の足らなさを告白しましたが、ゼキエル書36章27節に「わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの戒めを守り行わせる。」と預言されたように、御霊が下り、御霊に満たされた彼は自分を愛するのでは主を愛し、教会を建てるという主から与えられた使命を果たされたのでした。神よりも自分を愛するような肉の思いに支配されて御霊を悲しませたり、御霊を消す、すなわち御霊の働きを鈍らせないように、十字架で示された神の愛を、主に愛されていることを忘れず、いのちのみことばをしっかり握って生きようではありませんか。