わたしが目を留める者は、へりくだって心を砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。(イザヤ書66章2節)

1.詩篇51篇10節―19節
2.イザヤ書57章15節―19節
3.エレミヤ書18章2節―6節
4.ルカの福音書5章1節―11節

とかく人は神からすべてのものを与えられているにもかかわらず、自分の能力を誇ったり、美貌を誇ったり、豊かさや系図を誇るようなことをしますが、パウロがテモテに「私がマケドニヤに出発するとき、あなたにお願いしたように、ある人たちが違った教えを説いたり、果てしない空想話をと系図とに心を奪われたりしないように命じてください。そのようなものは、論議を引き起こすだけで、信仰による神の救いの計画の実現をもたらすものではありません。(テモテへの手紙第一1章3節―4節)」と、世と同じような状態が教会にもあることを指摘しています。パウロは誇ろうと思えば誇ることはたくさんありましたが、聖霊に満たされた彼は、自分のうちに罪が住んでいることを悟り葛藤し、「私はほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくださるのでしょう。」と、心が砕かれた一方、キリスト・イエスにある神の愛の確かさを知ったのでした。主は「知恵ある者は自分の知恵を誇るな。つわものは自分の強さを誇るな。富む者は自分の富を誇るな。誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。わたしは主であって、地に、恵みと公義と正義を行う者であり、わたしがこれを喜ぶからだ。―主の御告げー」と仰せられました(エレミヤ書9章23節―24節)。後悔するようなことに悩まされ、みじめに思うような時、今日の聖句「わたしが目を留める者は、へりくだって心を砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。」を、主がどのような方であるかを、恵みとまことに満ちておられる主が目を留めてくださっていることを、みことばがどんなに恵みに満ちているかを思い起こし、自分から目を離し、主を誉めたたえて生きようではありませんか。