私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。(エペソ人への手紙1章3節)

1.ローマ人への手紙6章17節―23節
2.コリント人への手紙第二6章1節―10節
3.ペテロの手紙第一1章3節―4節
4.ヨハネの手紙第一 5章1節―13節

人はとかく才能が豊かな人、成功をおさめた人、裕福な人、有名になった人を祝福された人と考えやすいものですが、イエス様は「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。(マタイの福音書16章27節)」と仰せられました。10年ほど前、ユダヤ人のピアニストと主人が共演することになったので彼女のマンションで練習をした時、彼女も彼女のご主人もイスラエル大使館にお勤めの方でしたので、地位もあり、才能もあり、住居もグランドピアノが置かれている部屋の広さは当時私たちが住んでいた2LDがすっぽり入ってしまうような広さだったそうですが、主人がイエス様について、永遠のいのちが与えられていることなどをお話しすると、彼女は「ボーマンさん。あなたは本当に豊かな人ですね。」と言われたそうです。彼女は敬虔なユダヤ教徒で、帰国される前に私たちを過越の祭りに招待してくださりました。ところで、石原慎太郎氏のように、人は死んだら無に帰す、と考える方もおられますが、人は他の被造物と異なって永遠の神に似せて創造され、神の息が吹き込まれ、永遠(永遠の思い)が与えられているために、想像力を働かせて死後についてさまざまな考えを基にした数えきれないほどの宗教が生み出されましたが、それは空論であり、その教祖たちの中で死からよみがえられた方はいません。一方、永遠の神でありながら罪人を救うために人として神がお遣わしくださったイエス・キリストは死からよみがえられて永遠のいのちがいかなるものであるかを証しされたのでした。キリストによって永遠のいのちが与えられていることを知ったパウロが「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」と語っているように、この世が与えることのできない、死によって消滅するようなものではない神からの祝福をもって、すでに祝福されていることを忘れないように、日々神をほめたたえて生きようではありませんか。