義のいけにえをささげ、主に拠り頼め。(詩篇4篇5節)

1.箴言3章3節ー8節
2.詩篇51篇14節ー19節
3.マラキ書3章1節ー4節
4.ピリピ人への手紙3章1節ー11節

人はとかく自分の考えや経験に基づいて生活しているのではないでしょうか。ところで、聖書には「主に拠り頼め」というお勧めがたびたび出てきます。今日の聖句は、「義のいけにえをささげ、主に拠り頼め。」と、主に拠り頼む人生を送るための秘訣として、義のいけにえをささげるように勧めています。パウロは律法による自分の義に生きていた時には、自分の考えでキリスト者を迫害していましたが、キリスト者になった彼はイエス様を信じる信仰によって神から与えられる義を知る者となられ、「兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったのです。(ローマ人への手紙10章1節ー4節)」と、自分の義ではなく「愛する人たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。(ローマ人への手紙12章19節』」と、またコリントの聖徒たちに「主も、あなたがたを、私たちの主イエス・キリストの日に責められるところのない者として、最後まで堅く保ってくださいます。(コリント人への手紙第一1章8節)」と、主に拠り頼むようになられたのでした。一日中漁をして何一つとれなかったことを申し上げたのに、イエス様が仰せられたように網をおろすと網が裂けるほどの大漁になったことを体験したペテロとヤコブとヨハネは何もかも捨ててイエス様に従ったのでした(ルカの福音書5章4節ー11節)。自分の義をささげる、すなわち自分の考えに固執せず、パウロのように恐れおののくような時、十字架に架けられた主を仰ぎ見て(コリント人への手紙第一2章2節)、人間の考えである哲学や宗教では解決できない罪や死から救い出してくださった主を信頼して生きようではありませんか。