もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。(コリント人への手紙第一15章17節)

1.ローマ人への手紙6章17節―23節
2.コリント人への手紙第一15章51節―57節
3.エペソ人への手紙2章1節―9節
4.ヘブル人への手紙10章1節―18節

シモン・ペテロはイエス様のことを「あなたは、生ける神の御子キリストです。」と申し上げて、イエス様を信じていたのですが、イエス様は「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」とペテロが挫折するけれども立ち直ることを話されたのですが、ペテロが「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と言ったので、イエス様は「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」と預言されたのでした。結局、彼は人を恐れてイエス様のことを三度知らない、と言ったのですが、死からよみがえられたイエス様にお会いしたことによって彼は単なる希望ではなく生ける希望を持つ者となるとともに聖霊に満たされて十字架と復活を大胆に語ったのでした。パウロも十字架の死と復活を語ったのでした。今日の聖句が「もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。」と語っているのは、パウロが「罪から来る報酬は死です。しかしお、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ人への手紙6章23節)」と語っているように、主がよみがえらずに死んだままでしたら、罪の報酬を受け続けていることになるからではないでしょうか。今日は復活祭です。私たちの信仰はむなしいものではなく、やがて主とともに天国で永遠に生き続けることができるという希望に満ちていることを喜ぼうではありませんか。