義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。(ヤコブの手紙3章18節)

1.マタイの福音書5章17節―20節
2.マタイの福音書7章15節―27節
3.エペソ人への手紙2章10節―18節
4.エペソ人への手紙4章16節―24節

実のなる種を蒔くとやがて実をつけますが、実を見れば、なんの種が蒔かれたのかを人から説明されなくてもわかります。今日の聖句は「義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。」と、今世界が願っている平和がもたらされるためには平和をつくる人によって蒔かれる種によるものであり、その種は義の実を結ばせるものであることを語っています。ところで、「義」についてですが、パウロは律法による自分の義に生きていた時には自分の考えでキリスト者を迫害していたのですが、キリスト者となった彼はキリストを信じる信仰によって神から与えられる神の義を知る者となり、その違いをはっきり知る者となったのでした(使徒の働き26章9節、ピリピ人への手紙3章9節)。自分の義に生きていると高ぶりやねたみ、敵対心をもたらし争いを引き起こすことになるのではないでしょうか。一方神の義は十字架によって示されたように、罪人を罪や死、悪魔の支配から救う力があるのです。ところで、「種」についてですが、イエス様は種まきのたとえを話され、弟子たちに「種は神のことばです。(ルカの福音書8章11節)」と仰せられました。義の実を結ばせることができるのはこの世や人の知恵に基づくことばではなく、神の知恵であるみことば以外にありません(ヤコブの手紙3章13節―17節)。そして、神のことば、すなわち、御国の福音、和解の福音は、まず神との平和をもたらしてくださったイエス様によって蒔かれ、キリスト者にも委ねられたのです(コリント人への手紙第二5章18節)。その事を心に据えて人々が異端に巻き込まれないように、宣教の働きが前進するように祈ろうではありませんか。