あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。(ローマ人への手紙8章15節)

1.ヨハネの福音書14章22節―26節
2.コリント人への手紙第一2章7節―12節
3.エペソ人への手紙1章3節―6節
4. エペソ人への手紙2章1節―9節

パリサイ人として生きていた時のパウロは神に対して熱心でありましたが、聖霊を持っていなかったので、キリスト者を迫害していたのですが、キリスト者となり聖霊に満たされたパウロはキリスト者には神からの霊である聖霊が与えらているけれども、不従順の子ら、すなわち創造者なる神を認めない人々はこの世の霊、すなわち空中の権威を持つ悪魔や悪霊の支配下にあることを知るとともに、キリスト者に対して「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます。」と、霊の働きの違いを語りました。日本では何かあると神主さんを招いてお祓いをしますが、パウロは「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちの律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである』と書いてあるからです。このことは、アブラハムの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちの信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。(難ガラテヤ人への手紙3章13節ー14節)」と御霊が与えられているのは、恐れから解放されているだけでなく、アブラハムと同じ祝福が与えられていることを語っています。モアブの王バラクはバラムにイスラエルの民をのろうように頼みましたが、バラムは「神がのろわない者を、私がどうしてのろえようか。」と言い、かえってイスラエルの民を祝福することしかできなかったのでした(民数記23章-24章14節)。思い煩うようなことや心配することがあっても、恐れに支配されないように「アバ、父」と主に助けを求めて心のうちを正直に申し上げるとともに、どんなことをも益としてくださる主を信頼し、主からの平安をいただいて、心と思いを守っていただこうではありませんか。