人の高ぶりはその人を低くし、心の低い人は誉をつかむ。(箴言29章23節)

1.列王記第一3章3節ー13節
2.ダニエル書4章19 節ー57節
3.ピリピ人への手紙2章3節ー11節
4.ヤコブの手紙4章1節ー11節

人は神を認めるよりも「自分」に生き、自分の思ったとおりに物事がうまくいくと高ぶってしまうのではないでしょうか。ネブカデネザル王が見た夢をダニエルは神からの警告であることを解き明かして高ぶらないように警告したのですが、十二ヶ月後、「この大バビロンは、私の権力によって、王の家とするために、また、私の威光を輝かすために、私が建てたものではないか。」と言っているうちに、天から「ネブカデネザル王、あなたに告げる。国はあなたから取り去られた。あなたは人間の中から追い出され、野の獣とともに住み、牛のように草を食べ、こうして七つの時があなたの上を過ぎ、ついに、あなたは、いと高き方が人間の国を支配し、その国をみこころにかなった者にお与えになることを知るようになる。」という声があり、すぐさま言われたようになりましたが、その期間が終わったとき、彼は目を上げて天を見ると理性が戻って来たので、主をほめたたえると、彼は以前にもまして大いなる者になったのですが、「今、私、ネブカデネザルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごと真実であり、その道は正義である。また、高ぶって歩む者をへりくだった者とされる。」と告白して真の賛美者になったのでした(ダニエル署4章13節―37節)。今日の聖句に「人の高ぶりはその人を低くし、心の低い人は誉をつかむ。」とありますが、神がその人を低くされるのは、後悔するためではなく、かえって誉を与えるためであり、パウロはローマ人への手紙7章で自分のみじめさに気づきましたが、その結果、恵みとまことを実現されたキリスト・イエスにある神の愛がどのようなものであるかを悟ったのでした。ネブカデネザル王ように、天を見る、すなわち天におられる信仰の創始者であるイエス様を見上げ(コロサイ人への手紙3章1節)、どんなことも益としてくださる主を誉めたたえて生活しようではありませんか。