そこで、彼らは近寄って行ってイエスを起こし、「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです。」と言った。イエスは、起き上がって、風と荒波とをしかりつけられた。すると風も波も収まり、なぎになった。イエスは彼らに、「あなた方の信仰はどこにあるのですか。」と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」(ルカの福音書8章24節―25節)

1.詩篇62篇5節ー8節
2.ヨハネの福音書14章1節ー27節
3.ヘブル人への手紙4章14節ー16節
4.ペテロの手紙第一1章18節ー21節

湖の対岸に向かって舟で渡っている間に突風が湖に吹きおろして来て弟子たちは水をかぶってしまったので、ぐっすり眠っておられたイエス様に「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです。」と言って起こされたので、イエス様は起きられて風荒波をしかりつけてなぎにされてから、弟子たちに「あなた方の信仰はどこにあるのですか。(ルカの福音書8章)どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。(マルコの福音書4章40節)」と問われたのですが、彼らはその問いには答えずに、驚き恐れて「風も水も、お命じになれば従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」と言ったのでした。「シモン、シモン、見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と仰せられたイエス様に、ペテロは「主よ、ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と申し上げたのですが、イエス様が預言されたように鶏が鳴くまでに三度イエス様を知らない、と言い、三度目にイエス様が振り返ってペテロをご覧になると、彼は主のことばを思い出して外に出て激しく泣いたのでした。自信喪失状態だったのでしょう。やがて聖霊に満たされた「ペテロは信仰と希望は神にかかっている(ペテロの手紙第一1章21節)」と語っています。イエス様を信じているのに、試みにあうと、主は眠っておられ、私たちの状態を気にもかけてくださらないのではないか、と考えてしまうことがありますが、主は人として遣わされたので、弟子たちと舟に乗られた時には、お疲れになって眠っておられたでしょうが、今は父なる神の右に座しておられ、まどろむことも眠ることもなく(詩篇121篇4節)、とりなしていてくださるのです。弟子たちのようにパニック状態に陥って恐れに支配され、信仰がなくなってしまうような状態になっても、主に助けを求めると私たちの弱さをご存知な主は必ず救ってくださることを心に留めて、主からの平安をいただこうではありませんか。