神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。(ローマ人への手紙8章11節)

1.詩篇1816節―19
2.列王記第一1819節―39
3.歴代誌第二2012節―24
4.ヨハネの手紙第一4章4節ー6節及び5 章19節ー21節

箴言29章25節は「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。」と、イエス様は「からだを殺しても、たましいを殺せないひとたちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい(マタイの福音書10章28節)」と、人を恐れないように警告しています。イスラエルの民は多くの奇蹟を体験していながらも、人を恐れて神がどのような方であるかを忘れ、神に対して不信の罪を犯したのですが、王や民が主に助けを求めると必ず勝利を与えられたのでした。イエス様はこの世が与えることができない平安や自由を与える方ですが、世全体を支配している悪魔はパウロが「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。(ローマ人への手紙8章15節)」と、語っているように恐れを投げかけてくるのです。悪魔は神に仕える御使いでしたが、神のようになろうと高ぶったために天から落とされたのですが、そのとき1/3の御使いを引き連れたので、1/3は悪霊となったのでした。彼らは神に仕える御使いでしたから、人よりも強い力を持ち、神が人を用いられるように人を使いますが、人と同じように被造物ですし、ヤコブの手紙2章19節は「あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。」と、彼らこそ恐れの中にいることを示唆しています。パウロは人々から中傷されたり、さまざまな苦難を味わいましたが、信仰を失わなかった秘訣の一つに今日の聖句「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」があるのではないでしょうか。天地万物を創造された神に、死に勝利されたイエス様に勝つ力は存在しないことを心に据え、神が悪魔や悪霊の攻撃を許される背後に信仰を完成させようとする神の御計画があることを心に据え、主を信頼して主からの平安をいただいて生活しようではありませんか。