自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。(マタイの福音書6章20節―21節)
1.ルカの福音書12章13節―31節
2.コロサイ人への手紙1章3節―6節
3.コロサイ人への手紙3章2節―3節
4.ペテロの手紙第一1章3節―4節
先月熱海での土石流が起こりまだ復興がなされていないなか、降り続く大雨による警戒警報が九州地区から西日本に出され、これから日本全土に広がるような予想が出されていますが、これも温暖化の影響ではないか、と話された方がおられました。創世記1章31節に「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常によかった。」とありますが、パウロが「私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。(ローマ人への手紙8章22節)」と語っているように、良かったはずの状態が苦しむような状態、温暖化がもたらされたのは、人を創造された神を認めず、人の知恵をもって地上の宝にのみ人々の心が向いてしまったことにあるのではないでしょうか。パウロはキリスト者に「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。(テモテへの手紙第一6章10節」」と金銭を愛する、すなわち「お金があるから」「お金がないから」と、世の人々と同じように、神を信じていても神を信頼するよりも金銭が物事の決定権を持つような生き方に陥ってしまう危険性を指摘しています。永遠のいのち得るためにはどんな良いことをしたらよいのかを尋ねた青年に「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい」と仰せられたのですが、彼は多くの財産をもっていたので悲しんで去ったのでした(マタイの福音書19章16節ー22節)。彼は、隣人を愛している、と言っていましたが、実は隣人よりも財産を愛し、永遠のいのちを求めていたにもかかわらず、得ることができなかったのは財産が障害になっていたのでした。天に宝を積む、ということは、私たちの心がこの世のものよりも、私たちの必要を満たしてくださる天におられる神を仰ぎ見て、私たちに与えられている富をどのように用いるかにかかっているのではないでしょうか。