わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。(ヨハネの福音書10章14節)

1.詩篇231節―6
2.詩篇1031節―14
3.詩篇1391節―16
4.エレミヤ書923節―24

イエス様がペテロに「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と話されると、彼は「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできています。」と申し上げたのですが、イエス様は「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」と仰せられたようにペテロは行動し、三度目、鶏が鳴いたとき、主のおことばを思い出して外に出て激しく泣き挫折したのですが、よみがえられた主はご自身の方からペテロや弟子たちにご自身を現されペテロに「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか。」と二度とも「アガパオ:神の愛で」と尋ねましたが、ペテロが「主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存知です。」と「フィレオ=友情、友愛で」と二度とも答えたので、三度目に主は「愛しますか。」と尋ねた時には「フィレオ」を用いられたので、ペテロは心を痛めて「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを(フィレオ)知っておいでになります。」と、自分よりも主の方が自分のことをよくご存知であることを、信仰はイエス様によって与えられるもの(使徒の働き3章16節)であることを知る者となられたのでした。イエス様は「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。」と仰せられました。主は私たちのことをよくご存知ですが、私たちは主をどのようにしっているでしょうか。主をどのように知っているかが信仰生活の在り方に関わってくるように思わされます。ダビデは「主は私の羊飼い」と告白しています。彼自身が羊飼いでしたから、羊飼いの働きをよくご存知だったのでしょう。ダビデは主が彼を養い、導き、守ってくださる方であり、いつくしみと恵みに満ちておられる方であることを知っているがゆえに自分の考えや思いで行動して窮地に陥ると、いつも主に立ち返りました。詩篇37篇5節が「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」と勧めているように、自分の悟りにたよらずに、良い牧者であるイエス様に拠り頼む信仰生活をおくろうではありませんか。

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