神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。(ヨハネの手紙 第一5章3節)

1.ヨハネの福音書1415節―21
2.ヨハネの福音書159節―12
3.ローマ人への手紙5章6節―10節

「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」と尋ねた律法の専門家に、イエス様は第一の戒めは「心を尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ」と、第二の戒めは「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」と仰せられてから第一の戒めは第一の戒め同様大切であり、律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっていることを話され(マタイの福音書22章35節―40節)、弟子たちに「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。(ヨハネの福音書13章34節)」と仰せられましたが、すべて「愛する」ということばはアガパオ=神の愛を使っておられます。ですから、主の戒めを守るためには状況によって変化してしまうような情によるものでなく、十字架で示された神の愛によらなければならないことを語っているのではないでしょうか。ローマ人への手紙5章5節は、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれていることを語っていますから、キリスト者には神の愛が与えられているのです。今日の聖句は「神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。」と、神を愛しているかどうかは、みことばを守っているかどうかにかかっている、と語っています。ローマ人への手紙8章6節―7節は「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。というのは、肉の思いは神に対して反抗するものだからです。それは神の律法に服従しません。いや、服従できないのです。」と、みことばに従うことができない原因は肉の思い、すなわち聖霊によって新しくされていることを忘れて、古い自分に生きてしまうことにあることを語っているのではないでしょうか。みことばを知っていてもそれに従えない時、私たちのためにどれほどの犠牲が支払われたかということ、十字架によって示された神の愛を忘れ、神やイエス様よりも自分を愛し、この世の価値観や生き方に心が向いてしまい、世と調子を合わせてしまっているのではないでしょうか。来週は受難週です。神がどのような方であるかを忘れないようにしようではありませんか。