いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。(ヨハネの福音書6章63節)

1.ヨハネの福音書1章1節―7
2.ヨハネの福音書1422節―27
3.ヨハネの福音書1612節―14

イエス様はニコデモに神の国に入るためには、すなわち永遠のいのちを得るためには御霊によって生まれる必要があることを話されましたが(ヨハネの福音書3章5節―15節)、死後の保証だけでなく、ご自身をパンにたとえられ、「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」と心が満たされることを約束されてから(ヨハネの福音書6章35節)、「いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。(ヨハネの福音書6章63節)」と御霊の働きについて話されましたが、その御霊は、イエス様が「わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。」と仰せられてから「わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助けぬ主があなたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助けぬ主をあなたがたのところに遣わします。(ヨハネの福音書15章26節、ヨハネの福音書16章7節)」と仰せられたように、イエス様が昇天されてから、五殉節(ペンテコステ)の日に成就したのでした。聖霊に満たされたペテロは他の11人の使徒たちと一緒に立ち上がって大胆にイエス様のことを証したのでした。ペテロの話を聞いたうちの3000人が救われ教会が起こされたのでした。律法が与えられたとき、イスラエルの民はモーセが山から降りてくるのに手間取っていたので、アロンに自分たちに先立って行く神を造るように願ったので、アロンは人々がつけていた金のイヤリングから金の子牛をつくり、その像を神として偶像崇拝をしていたために3000人が死亡しましたが、聖霊が降ったときには3000人がイエス様を信じて永遠のいのちを持ったのでした。パウロは「文字は殺し、御霊は生かす。(コリント人への手紙第二3章6節)」と語っています。テモテへの手紙第二3章16節―17節「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。」を心に据え、いのちのみことばをしっかり握って(ピリピ人への手紙2章16節)生活するようにしようではありませんか。