イエスは言われた「あなたがたはわたしの杯を飲みます。しかし、わたしの右と左にすわることは、このわたしの許すことではなく、わたしの父によって備えられた人々があるのです。」(マタイの福音書20章23節)

1.エレミヤ書3131節―34
2.エペソ人への手紙28節―19
3.ヘブル人への手紙8章6節―13節
4.ヘブル人への手紙10章6節―18節

イエス様は十二弟子だけを呼ばれ「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」と、はっきりご自分が殺されることと、死からよみがえられることを語られたとき、「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」と、ゼベダイの子たちの母が申し上げると、イエス様は「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。」と尋ねると、彼らは「できます。」と答えたので、イエス様は「あなたがたはわたしの杯を飲みます。」と仰せられるとともに「しかし、わたしの右と左にすわることは、このわたしの許すことではなく、わたしの父によって備えられた人々があるのです」と、ゼベダイの子であるヤコブとヨハネに仰せられてから、ヤコブとヨハネに腹を立てた十人に「人の子が来たのが、仕えられるらめではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」と、ご自身のことを引き合いに出して、弟子たちが互いに仕えあうように話されたのでした。イエス様が飲む杯は、父から与えられたものであり、罪人の救いのために十字架の死をもってご自身をささげる、というものでしたが、イエス様は過越の食事の時杯を取り、感謝をささげてから「みな、この杯から飲みなさい。これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです(マタイの福音書26章27節―28節)。この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です(ルカの福音書22章20節)」と仰せられました。ヨハネの福音書1章16節-17節は「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みをうけたのである。というのは、律法はモーセによって与えられ、恵とまことはイエス・キリストによって実現したからです。」と語っています。今日は東日本大震災が起きてから10年目を迎えました。。十字架の死によって成し遂げられた救いを忘れずに、死からよみがえられ今も生きておられるイエス様によって実現した神の恵みを無駄にしないように生きるとともに、いつ何が起こるかわからないような時代ですから、ひとりでも多くの方が行いではなく恵みによって救われる世界を体験できますように祈ろうではありませんか(コリント人への手紙15章9節―10節)。