主をほめ歌え。主はすばらしいことをされた。これを、全世界に知らせよ。(イザヤ書12章5節)

1.マルコの福音書1615節―20
2.使徒の働き14節―8
3.使徒の働き262節―20
4.コリント人への手紙第一153節―11

律法と預言者の朗読があってから会堂の管理者たちはパウロの一行のところに人をやって「兄弟たち。あなたがたのうちどなたか、この人たちのために奨励のことばがあったら、どうぞお話しください。」と言わせたので、パウロはイスラエルの人々や神を恐れかしこむ方々にイスラエルの歴史や詩篇2篇を引用して、神がイエス様を死からよみがえらされたこと、イエス様によって罪が赦されることを語ってから、「モーセの律法によっては解放されることのできなかったすべての点について、信じる者はみな、この方によって解放されるのです。」と話されると、人々は次の安息日にも同じことについて話してくれるように頼んだだけでなく、会堂の集会が終わってからも多くのユダヤ人と神を敬う改宗者たちが、パウロとバルナバについて来たので、ふたりは彼らと話し合っていつまでも神の恵みにとどまっているように勧めたのでした(使徒の働き13章13節―43節)。なぜなら、ヤコブの手紙2章8節―11節が「もし、ほんとうにあなたがたが、聖書に従って、『あなたがたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という最高の律法を守るなら、あなたがたの行いはりっぱです。しかし、もし人をえこひいきするなら、あなたがたは罪を犯しており、律法によって違反者として責められます。律法全体を守っても、一つの点でつまずくなら、その人はすべてを犯した者となったのです。なぜなら、『姦淫してはならない』と言われた方は、『殺してはならない』とも言われたからです。そこで、姦淫しなくても人殺しをすれば、あなたは律法の違反者になったのです。」と、語っているように律法による行いでは罪が明らかにされるだけで、人が罪から救われないことがわかります。確かに、どんなきれいな水でも、そこに一滴毒を垂らしたなら、その水全体は毒水になってしまいます。キリストの証人として、今日の聖句が「主をほめ歌え。主はすばらしいことをされた。これを、全世界に知らせよ。」と勧めているように、主をほめたたえ、律法だけでなく、人にはできない罪と死の解決を与えてくださった恵とまことに満ちておられるイエス様を紹介しようではありませんか。