わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。(ヨハネの福音書6章39節)
1.ローマ人への手紙6章17節ー23節
2.ローマ人への手紙8章33節ー39節
3.コリント人への手紙第一4章4節―5節
4.エペソ人への手紙2章1節―9節
取税人のかしらで金持ちでしたが背が低かったのでイエス様を見るためにいちじく桑の木に登ったザアカイにイエス様が「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」と言うと、みんなが「あの方は罪人のところに行って客となられた。」とつぶやいたのですが、ザアカイが「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」と申し上げると、イエス様は「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」と仰せられたことがルカの福音書19章1節―10節にありますが、人々はザアカイのことを罪人と言いましが、イエス様は「失われた人」と語ると共に、主によって救いがもたらされることを語っています。キリスト者となったパウロは自分に罪(口語訳:罪の力)があることを認めて悩みましたが、キリスト・イエスを信じるならば神からの義が与えられ、決して罪に定められることがないばかりか「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。(ローマ人への手紙8章38節―39節)」と、キリスト・イエスによって示された神の愛の力がいかなるものであるかを語っています。今日の聖句「わたしを遣わした方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしがひとりも失うことなく、ひとりひとりを終わりの日によみがえらせることです。」はイエス様のことばであり、約束です。キリスト者は決して失われることがないこと、神に愛されていることを感謝すると共に、ひとりでも多くの方が救われ、キリスト・イエスにある神の愛を知ることができるように祈ろうではありませんか。