イスラエルの神、主。あなたは正しい方です。まことに、今日あるように、私たちはのがれた者として残されています。ご覧ください。私たちは罪過の中であなたの御前におります。このような状態で、だれもあなたの御前に立つことはできないのに。(エズラ記9章15節)
1.詩篇130篇1節―4節
2.哀歌3章23節―26節
3.コリント人への手紙第一15章3節―10節
4.エペソ人への手紙2章1節―10節
キリスト者となったパウロは「律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。(ローマ人への手紙5章20節)」と、また「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ人への手紙6章23節)」と語っていましたが、「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することができないからです。私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくで、私のうちに住む罪です。そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。・・私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょう。」と心の葛藤を語ってから、「今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。」と解決がキリストにあることを(ローマ人への手紙7章18節―8章2節)、そして教会を迫害したにもかかわらず使徒とされたのは神の恵みによることを語っています(コリント人への手紙第一15章3節―10節)。今日の聖句「イスラエルの神、主。あなたは正しい方です。」を新共同訳聖書は「イスラエルの神、主よ、あなたは恵み深いお方です。」と訳しています。私たちもパウロと同じように自分を情けなくみじめに思うようなことがありますが、今も生かされているのは主の恵みによることを感謝するとともに、いつでも主の御前で祈ることができる特権を無駄にしないようにしようではありませんか。