恵みとまことによって、咎は贖われる。主を恐れることによって、人は悪を離れる。(箴言16章6節)
1.ヨブ記1章1節―8節
2.詩篇130篇1節―4節
3.伝道者の書12章13節―14節
4.エペソ人への手紙2章1節―9節
ヤコブの手紙3章2節が「私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。」と語っているように、すべての人は生まれてからこの世を去るまで、罪や咎、すなわちあやまちを積み上げながら生活しているのではないでしょうか。しかも罪には目に見える罪と人には知られなくても心の中で犯す罪もあり、律法学者やパリサイ人が心の中で何を考えているかをイエス様は知っておられたように、主は心の中の罪をもご存知な方です。ところで、箴言20章8節―9節は「さばきの座に着く王は、自分の目ですべての悪をふるい分ける。だれが、『私は自分の心をきよめた。私は罪からきよめられた』と言うことができようか。」と語っていますが、今日の聖句が「恵みとまことによって、咎は贖われる。主を恐れることによって、人は悪を離れる。」と語っているように、恵みとまことに満ちておられるイエス様によって罪や咎の赦しが与えられ、十字架の血によって邪悪な良心がきよめられているだけでなく(ヘブル人への手紙10章22節)、主を忘れると欲に支配されて罪を犯してしまいますが、主を恐れる、すなわち、主がどのような方であり、どのようなことをしてくださったかを心に据えることによって、十字架の恵みを無駄にしないように、主を悲しませないようにするなら、悪から離れることができるのではないでしょうか。