主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。(詩篇100篇5節)
1.サムエル記 第二 7章12節―16節
2.使徒の働き13章32節ー43節
3.ヨハネの福音書1章14節―18節
4.ローマ人への手紙5章17節―21節
主はダビデに「あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確率させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる。もし彼が罪を犯すときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。しかし、わたしはあなたの前からサウルを取り除いて、わたしの恵みをサウルから取り去ったが、わたしの恵みをそのように、彼から取り去ることはない。あなたの家とあなたの王国とはわたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ」と仰せられたように、永遠の王国と王座は人としてこの世に御降誕されたダビデの子と言われるイエス様によって確立されただけでなく、恵みが取り去られるようなものではないことを語っていますが、それはヨハネの福音書1章16節―17節が「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。」と語っているように、イエス様によって実現したのでした。今日のみことば「主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。」をしっかり心に植えつけて、恵みの奥義を知ったパウロが「律法が入って来たのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるとこには、恵みも満ちあふれました。(ローマ人への手紙5章20節)」と語っているように、自責の念や罪悪感に悩むようなとき、自分を責めるのでは恵みの座に出て、そのために十字架があることを、なくとりなしていてくださり信仰を完成してくださる恵みとまことに満ちておられるイエス様を仰ぎ見て、いつまでも神の恵みにとどまろうではありませんか(使徒の働き13章43節)。