主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る。(詩篇33篇11節)

1.サムエル記 第二78節―16
2.詩篇404節―5
3.ローマ人への手紙1125節―36
4.エペソ人への手紙1章3節ー12節

パウロは「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました(エペソ人への手紙1章3節―5節)」と、今日の聖句が「主のはかりごとはとこしえに立ち、御心の計画は代々に至る。」と語っているように、驚くべきことに、神の御計画のもとで母の胎に宿る前から私たちは存在していたことを語るとともに、「私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした、もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。まさしく、聖書に書いてあるとおりです。『目が見たことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。』(コリント人への手紙 第一2章7節―9節)」と、十字架による贖いもすでに世界が始まる前にすでに神はご計画されていたことを語っています。主はダビデに約束された永遠の王国と王座はダビデの子と呼ばれるイエス様によって成就しましたが、それだけでなくダビデの子孫、すなわち神の民が罪を犯した時には人の杖、人の子のむちをもって懲らしめるけれども神の恵み(英訳:神の愛)を取り去ることはないことを約束されたのでした。罪悪感や自責の念にかられるような時、それらのことは十字架で支払われているという恵みがあるために、ローマ人への手紙5章20節は「罪の増し加わるところには恵みも満ちあふれました。」と語っています。私たちは行いによってではなく恵みによって救われているだけでなく、キリスト・イエスにある神の愛は決して私たちの過ちや失敗によって取り去られることはなく永遠の栄光の中に招き入れられていることを感謝して生活しようではありませんか(ペテロの手紙 第一5章10節)。