喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。(ローマ人への手紙12章15 節)

1.コリント人への手紙 第一 1214節―27
2.ピリピ人への手紙2章1節ー4節
3.コロサイ人への手紙3章2節ー14節

今日の聖句「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。」というお勧めに生きることを可能とするには、パウロが「私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストイエスにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。(ローマ人への手紙12章3節―5節)」と、また「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。(コリンと人への手紙 第一 12章26節―27 節9)」と語っているように、キリスト者個々人はキリストのからだを構成するひとりひとりであるということを心に据えるとともに、福音書の弟子たちは、世の人々と同じように、だれが一番偉いか、などと議論をしましたが、聖霊に満たされた弟子たちはペテロとヨハネから祭司長たちや長老たちから「いっさいイエスの名によって語ったり教えたりしてはならない」と命じられたことを聞くと、心を一つにして神に祈る者になったように(使徒の働き4章13節―31節)、心が一つとなる必要がありますが、そのためには御霊によって歩む、すなわち、みことばに同意して生きる必要があるのではないでしょうか。生きるためには血が不可欠ですし、親子関係においても兄弟関係においてもそこには血が重要な意味を持ちます。目には見えませんがすべてのキリスト者は十字架で流された主の血の注ぎを受けて神の家族とされているのですから、兄弟姉妹と呼び合うだけでなく家族意識をもって生活するならば、聖霊によって心に注がれている神の愛によって、口先だけでなく心を一つにして今日の聖句を実践できるようになるのではないでしょうか。肉の思いで悩む時、自分に失望するのではなく、恵みの座で自分の弱さを告白するとともに、私たちの弱さを私たち以上によくご存知な神は私たちの心よりも大きい方であることを(ヨハネの手紙 第一3章18節ー20節)感謝して生活しようではありませんか。