あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。(ローマ人への手紙8章15節)

1.マタイの福音書627節―34
2.ローマ人への手紙828節―32
3.ピリピ人への手紙4章6節―7節
4.ヤコブの手紙1章2節ー8節

主が与えようとされるエモリ人の山地に来たとき、モーセが「見よ。あなたの神、主は、この地をあなたの手に渡されている。上れ。占領せよ。あなたの父祖の神、主があなたに告げられたとおりに、恐れてはならない。おののいてはならない。」と言ったにもかかわらず、民の「私たちより先に人を遣わし、私たちのために、その地を探らせよう。私たちの上って行く道や、入って行く町々について、報告を持ち帰らせよう」という意見に同意したので、主は「父祖の部族ごとにひとりずつ、みな、その族長を遣わさなければならない。」と仰せられたので、モーセは各部族からひとりずつ十二人を遣わしたのですが、その時主から約束の地の情報はすでに与えられていたにもかかわらず(出エジプト記3章7 節―10節)、その地がどんなであるか、そこの住民は強いか弱いかなど詳細に調べるだけでなく、その地の果物を取って来るように命じたのですが、そのことによって探って来た地について、またそこにいるアナク人と自分たちを比較して「私たちには自分がいなごのように見えたし、彼らにもそう見えたことだろう。」と悪く言いふらした者たちのことばを民は信じ、「あの地は乳と蜜とが流れている。ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れはならない。・・主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」と、アナク人以上に偉大な主を信頼したカレブとヨシュアを石で打ち殺そうと言い出したのでした(申命記1章20節―23節、民数記13章1節―14章10節)。モーセをはじめすべての民は多くの奇蹟を体験し神の偉大さを見たにもかかわらず、恐れは神の存在さえも忘れさせてしまうような力を持っているのではないでしょうか。イエス様は「あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたに必要なものを知っておられるからです。」と、祈るとき、異邦人、すなわち創造者なる神を知らない人々のような祈り方をしないように仰せられてから、「こう祈りなさい」と言われ、祈りの冒頭に「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。」と、まず神を意識するように勧めているのではないでしょうか。恐れが生じた時、今日の聖句が「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、『アバ、父』と呼びます。」と語っているように、恐れに支配されないように、私たちの父であり、私たちがどのような状態にいるかをご存知なだけでなく何が必要なのかをご存知な主に不安なことや思い煩い、心配ごとを正直に申し上げてそれらのことを主にお委ねし、カレブとヨシュアのように主を信頼して生活しようではありませんか。