キリストも一度罪のために死なれました。正しい人が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。(ペテロの手紙 第一 3章18節)

1.ヨハネの福音書141節―6
2.ローマ人への手紙83節―15
3.ヘブル人への手紙1014節―23

パウロは「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられこと、また、ケパに現れ、それから十二弟子に現れたことです。その後、キリストは五百人以上の兄弟たちに同時に現れました。その中の大多数の者は今なお生き残っていますが、すでに眠った者もいくらかいます、その後、キリストはヤコブに現れ、それから使徒たち全部に現れました。そして、最後に月足らずで生まれた者と同様な私にも、現れてくださいました。私は使徒の中では最も小さい者であって、使徒と呼ばれる価値のない者です。なぜなら、私は神の教会を迫害したからです(コリント人への手紙 第一 15章3節−8節)」と、聖書の預言の確かさを語っています。ところで、パウロのためにもキリストは現れてくださったことを語っていますが、その時、主はすでに昇天されておられたので、ペテロやヤコブや他の弟子たちのようによみがえられたキリストを肉眼で見ることはできませんでしたが、当時サウロとも呼ばれていたパウロは、はっきり「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いたので、「主よ。あなたはどなたですか。」と尋ねると「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」と、仰せられアナ二ヤをパウロのもとに遣わしたのでした。キリスト者となったパウロは自分の中に罪があることを知る者となっただけでなく、今日の聖句が「キリストも一度罪のために死なれました。正しい人が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。」と語っているように、キリストにあって神のみもとに帰ることができることを知ったのでした(コリント人への手紙 第一13章12節)。ですから詩篇116篇15節は「主の聖徒たちの死は主の目に尊い」と語っているのではないでしょうか。私たちも、やがてイエス様に会えるという喜びの中に生きようではありませんか。