あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。(詩篇119篇15節)
1.マタイの福音書12章34節―37節
2.コロサイ人への手紙3章15節―17節
3.ヤコブの手紙1章20節―21節
ヤコブの手紙3章2節は「私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。」と語っていますが、同章7節―8節は「どのような種類の獣も鳥も、はうものも海の生き物も、人間によって制せられるし、すでに制せられています。しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。」と、完全な人はいないことを語っています。ところで、イエス様のことを「この人は、悪霊どものかしらべルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ。」と言ったパリサイ人に「まむしのすえたち、おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。」と、イエス様はことばと心の関係を語っています(マタイの福音書12章24節及び34節)。パウロも悩まれたように、主を信じていても肉の思いに支配されてしまうと、みことばを知っていてもみことばに生きられないような罪を犯してしまいますが、ローマ人への手紙5章20節―21節は「律法が入ってきたのは、違反が増し加わるためです。しかし、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。それは、罪が死によって支配したように、恵みが、私たちの主イエス・キリストにより、義の賜物によって支配し、永遠のいのちを得させるためなのです。」と、罪を犯すたびに、その罪のつぐないはすでに主が十字架で負ってくださったという人知では理解できない十字架によって実現した恵みの世界を語っています。ところで、今日の聖句は、みことばを暗唱することも大切ですが、罪を犯さないためにはみことばを心にたくわえることが大切であることを語っています。みことばに「アーメン」と応答するとき、心にみことばがたくわえられ、みことばで生きることができるのではないでしょうか。恵みのみことばが与えられていることを感謝して生きようではありませんか。