愚かな者は怒りをぶちまける。しかし知恵のある者はそれを内におさめる。(箴言29章11節)
1.ガラテヤ人への手紙5章16節ー24節
2.エペソ人への手紙4章26節ー32節
3.ヤコブの手紙1章12節ー22節
4.ヤコブの手紙3章13節ー17節
ガマリエルのもとで律法を学んだにもかかわず、ガマリエルのようではなく律法による自分の義に生きていたパウロは激しい怒りに燃えてエルサレムだけでなく国外までも出かけて行ってキリスト者を迫害していたのですが、キリスト者となった彼は「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。・・・知者はどこにいるのですか、学者はどこにいるのですか。この世の議論家はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。事実、この世が自分の知恵によって神を知ることがなのは、神の知恵によるのです。・・・キリストは神の力、神の知恵なのです。なぜなら、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。(コリント人への手紙第一1章18節ー15節)」と人の知恵と神の知恵との違いを語るとともに「怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。」と語ってから「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに愛し合いなさい。(エペソ人への手紙4章26節ー27節及び32節)」と、また「愛する人たち、自分で復讐しては行けません。神の怒りにまかせなさい。(ローマ人への手紙12章19節)」と勧める人に変えられtのは神の知恵であるキリストとキリストの生き方を知ったからではないでしょうか。今日の聖句は「愚かな者は怒りをぶちまける。しかし知恵のある者はそれを内におさめる。」と、愚かな者と知恵ある者の生き方の違いを語っていますが、愚かな者はどんなに知能指数が高くても知識が豊富でも神を考慮しない者であり、知恵のある者とは神の知恵を、神の知恵であるキリストを信じる者ではないでしょうか。怒っても罪を犯さないために、かつてのパウロのように自分の考えで物事を判断するよ理も、主は全てご存じであることを忘れず、主にお委ねして生きるように心がけようではありませんか。
