あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、「神をあがめるように」と、いつも言いますように。(詩篇70篇4節)

1.詩篇1051節―4
2.ネヘミヤ記9章3節ー5節
3.使徒の働き11章1節ー18節
4.エペソ人への手紙13節―12

パウロは、パウロの話すことに耳を傾けていた生まれつき足のなえた人にいやされる信仰があるのを見て、大声で、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言うと、彼は飛び上がって歩き出したのを見た群衆は「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ」と言い、バルナバをゼウスと呼び、パウロがおもに話すひとであったのでヘルメスと呼んだだけでなく、ゼウス神殿の祭司は雄牛数頭と花飾りを門の前に携えて来て、群衆といっしょに、いけにえをささげようとしたので、使徒たちやバルナバとパウロは衣を裂いて、群衆の中に駆け込み、叫びながら「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。過ぎ去った時代には、神はあらゆる国の人々がおそれぞれ自分の道を歩むことを許されておられました。とはいえ、ご自分のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとであなたがたの心を満たしてくださったのです。」と、言って群衆が彼らにいけにえをささげるのをやめさせたことが使徒の働き14章8節―18節に書かれています。キリスト者であっても「私はパウロに。」「私はアポロに」と、成長させてくださる神よりも神が用いる器に注目してしまうことがあるのではないでしょうか。今日の聖句が「あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、『神をあがめるように』と、いつも言いますように。」と、勧めているように生きるために、パウロの「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。(テモテへの手紙 第二 2章8節)」というみことばを心に据えて、主が用いている器ではなく、器を用いておられる主をほめたたえて生きようではありませんか。