義の門よ。私のために開け。私はそこから入り、主に感謝しよう。これこそ主の門。正しい者たちはこれより入る(詩篇118篇19節―20節)
1.詩篇100篇1節―5節
2.ヨハネの福音書10章1節―9節
3.黙示録4章1節
今日の聖句は「義の門よ。私のために開け。私はそこから入り、主に感謝しよう。これこそ主の門。正しい者たちはこれより入る」と語っていますが、「正しい者」とは、ローマ人への手紙3章19節―26節が「さて、私たちは、律法の言うことはみな、律法の下にある人々に対して言われていることを知っています。それは、すべての口がふさがれて、全世界が神のさばきに服するためです。なぜなら、律法を行うことによっては、だれひとり神の前に義と認められないからです。律法によっては、かえって罪の意識が生じるのです。しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それはご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためです。」と、語っているように人は完全ではなく、さまざまな失敗をする者であるために(ヤコブの手紙3章2節)、行いによっては神の義に到達することができないだけでなく、すべての人はよみがえって神のさばきを受けることになりますが、キリスト者は十字架の血によって汚れた良心までもきよめられた者であり(ヘブル人への手紙10章 22節)イエス様を信じたことによって神の義が与えられていることから「正しい者」とは、主イエス様を信じているキリスト者であることがわかります。イエス様が「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネの福音書14章6節)」と仰せられたように、天国は約束されていますが、それまでの日々もこの世に属して生きるのではなく、御国の民として義の門、主の門を入り感謝をもって主とともに歩もうではありませんか(詩篇100篇4節)。