神の前では、軽々しく、心をあせってことばを出すな。神は天におられ、あなたは地にいるからだ。だから、ことばを少なくせよ。(伝道者の書5章2節)

1.詩篇106篇  6節―33
2.詩篇1391節―16
3.イザヤ書463節―13

ヤコブは「私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗しない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。(ヤコブの手紙3章2節)」と語っていますが、「どのような種類の獣も鳥も、はうものも海の生き物も、人類によって制せられるし、すでに制せられています。しかし、舌を制御することは、だれにもできません。死の毒に満ちています。私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。賛美とのろいが同じ口から出てくるのです。私の兄弟たち。このようなことがあってはなりません。泉が甘い水と苦い水を同じ穴からわき上がらせるというようなことがあるでしょうか。(ヤコブの手紙3章7節―11節)」と語っていますが、主が紅海を分けられイスラエルの民が対岸に渡り終えると海水もとに戻してエジプト軍を一人残らず溺死させたのを見たときにはみことばを信じ、主への賛美を歌ったのですが、モーセが山から下りて来るのに手間取っていると、民はアロンにエジプトから導き出した神を造るように要請したので、アロンも祭司でありながら民に金のイヤリングを差し出すように言い、それで金の子牛を造って偶像崇拝をしたり、約束の地を探って来たうちのカレブとヨシュア以外の者が麗しい地を悪く言いふらすと、そのことばを信じて「エジプトで死んでいたらよかったのに、できれば、この荒野で死んだ方がましだ。(民数記14章2節)」などとエジプトでどれほど苦しい思いをしていたかを忘れてつぶやいて罪を犯し、神の約束のみことばを信じ約束の地は乳と蜜の流れるよいちである、と真実を語ったヨシュアとカレブを石で打ち殺そうとしたしたように、驚くべき奇蹟をたくさん体験していても欲に支配されたり、パニック状態に陥ってしまうと、肉の思いに支配され、不信仰なことばや神を冒涜するようなことを言ってしまうような弱さをキリスト者も持っているのではないでしょうか。そんな時、主は私の心を見ておられるだけでなく、今日の聖句「神の前では、軽々しく、心をあせってことばを出すな。神は天におられ、あなたは地にいるからだ。だから、ことばを少なくせよ。」を思い起こし、私たちは日々主の前で生かされていることを、この地を去るまでの一生涯をすでに天から見て知っておられ、とりなしていてくださる神である主を信頼し、主をほめたたえて生きようではありませんか。