私の口が主の誉れを語り、すべての肉なる者が聖なる御名を世々限りなくほめたたえますように。(詩篇145篇21節)

1.詩篇1031節―14
2.使徒の働き31節―19
3.ヘブル人への手紙1314節―15

ヤコブの手紙3章2節―10節は「私たちはみな、多くの点で失敗するものです。もし、ことばで失敗しない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。馬を制御するために、くつわをその口にかけると、馬のからだ全体を引き回すことができます。また、船を見なさい。あのように大きな物が、強い風に押されているときでも、ごく小さなかじによって、かじをとる人の思いどおりの所へ持って行かれるのです。同様に、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧ないさい、あのように小さな火があのような大きな森を燃やします。舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます。どのような種類の獣も鳥も、はうものも海の生き物も、人類によって制せられるし、すでに制せられています。しかし、舌を制御することは、だれにもできません、それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。賛美とのろいが同じ口から出てくるのです。私の兄弟たち。このようなことがあってはなりません。」と、ことばの問題を提示しています。イエス様のことを悪く言ったパリサイ人に対して「まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。」と、心とことばとの関わりを語っています。生まれながらの人間は、世全体を支配している偽り者である悪魔の支配下にあるために、詩篇62篇4節が「彼らは偽りを好み、口では祝福し、心の中ではのろう。」と語っているように「うそも方便」ということばが象徴しているように、「偽り」は物事を潤滑にする手段のひとつのもののように考え、ことばと心が一つでなく、二心で生きてしまうのではないでしょうか。キリスト者も、神よりも自分を愛していると、自分の願いを主に申し上げて祈ることがあっても、その時以外は、世の人々と同じように自分の考えや思いに支配され、主を考慮しない生き方をしてしまうのではないでしょうか。今日の聖句「私の口が主の誉れを語り、すべての肉なる者が聖なる御名を世々限りなくほめたたえますように。」に応答して生きる秘訣は、パウロが「私の福音に言うとおり、ダビデの子孫として生まれ、死者の中からよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。」と勧めているように、私たちが受けるべき罪の罰を、十字架の刑を引き受けてくださっただけでなく、死からよみがえられて永遠のいのちを明らかにされ生ける希望を与えてくださったイエス様を誉めたたえ、人々に主を紹介するとともに、主が喜んでおられるかどうかを考えて生きるようにしようではありませんか。