知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。(詩篇100篇3節)
1.列王記 第一18章17節―29節
2.イザヤ書43章1節―13節
3.コリント人への手紙 第一 6章19節―20節
4.エペソ人への手紙2章1 節ー10節
今月、島根県は「神在月」と呼び、それ以外の県は、神々が出雲に出かけるので「神無月」と呼ぶのですが、それは、八百万の神々が来年について会議をして決めるために出雲大社に集うためであり「神在祭」という祭が行われるからですが、神々が滞在する一週間の間(今年は11月6日―11月13日)、神々の会議や宿泊に粗相があってはならないと住民は静かに過ごすようです。彼らは、龍神を信仰してきたようです。しかし、それは黙示録12章7節―9節が「さて、天に戦いが起こって、ミカエルと彼の使いたちは、竜と戦った。それで竜とその使いたちは応戦したが、勝つことができず、天にはもはや彼らのいる場所がなくなった。こうして、この巨大な竜、すなわち悪魔とか、サタンと呼ばれて全世界を惑わす、あの古い蛇は投げ落とされた。彼は地上に投げ落とされ、彼の使いどもも彼とともに投げ落とされた。」と語っているように、彼らはサタン(悪魔)や悪霊を神として拝んでいるのです。そのような悪魔の手から救うために御子イエス様を人としてお遣わしになり、神がどのような方であるかを解き明かされ、イエ様を信じる者は今日の聖句が「主が、私たちを造られた」と、エペソ人への手紙2章10節も「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いさえも備えてくださったのです。」と、語っているように世全体を支配しているこの世の神であるサタンや悪霊たちの支配から、恵みとまことに満ちておられるイエス様のご支配に移されたので、悪魔はキリスト者に触れることはできないのですが、サタンは光の御使いに偽装することができるので、キリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないように火の矢を射ってきて、キリスト者が主の民であることを、神がどのような方であるかを忘れさせ、恐れたり、思い煩ったりするように仕向けてくるのではないでしょうか。そのような時、今日の聖句「知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。」を思い起こし、まことの神を知り、主の民とされていることを感謝し、良き羊飼いであるイエス様の御手の中に守られていることを喜んで生きるとともに、偶像崇拝、すなわち悪魔を神と勘違いして拝んでいる有識者をはじめ日本の人々がまことの神を知ることができるように祈ろうではありませんか。