正しい者の口は知恵を語り、その舌は公義を告げる。心に神のみおしえがあり、彼の歩みはよろけない。(詩篇3730節―31節)

1.マタイの福音書1017節―20
2.マタイの福音書121節―36
3.コロサイ人への手紙21節―19

ローマ人への手紙3章10節は「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」と、かなりきついことを言っていますが、イエス様が、イエス様をどのようにして滅ぼそうかと相談するような、自分を義人と自任し人を見下すようなパリサイ人に「まむしのすえたち、おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。良い人は良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には良い開きをしなければなりません。あなたがたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。」と、神である主イエス様との関係がないかぎり、どんなに自分は正しい者と思っても、イエス様が「おまえたち蛇ども、まむしのすえども、おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができようか。(マタイの福音書23章33節)」と語られたように、「まむしのすえ」とは世全体を支配している悪魔や悪霊の支配下にあり、箴言21章30節は「主の前では、どんな知恵も英知もはかりごとも、役に立たない。」と語っているように、神には無益な者となってしまうことを語っています。ところで、マタイの福音書12章18節が「これぞ、わたしの選んだしもべ、わたしの心の喜ぶわたしの愛する者。わたしは彼の上にわたしの霊を置き、彼は異邦人に公義を宣べる。」と、公義を告げることができるのは神の霊を持っている者であることを語っていることから、今日の聖句「正しい者の口は知恵を語り、その舌は公義を告げる。」は、キリスト者に与えられている特権であり、よろけない歩みをすることができる秘訣は今日の聖句が「心に神のみおしえがあり、彼の歩みはよろけない。」と語っているように神の教えを心に留めることを語っています。ヤコブの手紙1章20節―21節が「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたのたましいを救うことができます。」と勧めているように、今、心に与えられているみことばで生きようではありませんか。