私は知っています。主は悩む者の訴えを支持し、貧しい者に、さばきを行われることを。まことに、正しい者はあなたの御名に感謝し、直ぐな人はあなたの御前に住むでしょう。(詩篇140篇12節—13節)

1.詩篇182534
2.詩篇1071節―43
3.ヨハネの福音書8章1節—18節

神である主はアダムにふさわしい助け手としてエバを造られアダムのところに連れて行くとアダムは「これこそ、今や、私の骨からの骨、私の肉からの肉。これを女(イシャ)と名づけよう。これは男(イシュ)から取られたのだから」と言い、ふたりとも裸でしたが、互いに恥ずかしいと思わない状態でいたので(創世記2章19節及び21節―25節)、創世記1章31節は「神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった」と語っていますが、神の警告のことばを直接聞いていなかったエバは、いつわりをもって神の禁じた善悪の知識の木からとって食べるように仕向けた悪魔の声を信じて食べ、アダムも妻の声に従って食べたことによって自分たちが裸であることを知り、いちじくの葉をつづり合わせて腰のおおいを作り、以前の状態に変化が起きてしまい、アダムとエバとの関係に亀裂が入り、支配される者と支配する者、神の支配から悪魔の支配下に陥ってしまったのです(創世記3章1節―16節)。主はモーセに「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを見、追い使う者の前の彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを知っている。わたしが下って来たのは、彼らをエジプトの手から救い出し、その地から、広い良い地、乳と蜜の流れる地、カナン人、ヘテ人、エモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人のいる所に、彼らを上らせるためである。見よ。今こそ、イスラエル人の叫びはわたしに届いた。わたしはまた、エジプトが彼らをしいたげているそのしいたげを見た。今、行け、わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエル人をエジプトから連れ出せ。(出エジプト記3章7節―10節)」と、悩みや痛みからイスラエルの民を解放するためにモーセを遣わされたように、人を殺すことを目的にし、いつわりをもって人々を惑わし、人々が互いに争うように仕向け、世全体を支配している悪魔の手から人類を救うために神は御子イエスさまをお遣わしくださったのです。70人の弟子たちがイエスさまに「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どのでさえ、私たちに服従します。(ルカの福音書10章17節)」と報告したように、主の御名に抵抗できる力も権威も存在しないことをピリピ人への手紙2章10節―11節は語っています。今日の聖句が「私は知っています。主は悩む者の訴えを支持し、貧しい者に、さばきを行われることを。まことに、正しい者はあなたの御名に感謝し、直ぐな人はあなたの御前に住むでしょう。」と語っているように、キリストのゆえに正しい者とされたキリスト者には主の御名で祈ることのできる特権が与えられていることを、どんな時にも主はともにいてくださることを感謝し、主がどのような方であるかを知っている者として生きようではありませんか。