聖書箇所
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。(ピリピ人への手紙4章4節)
<関連聖句>
1.詩篇37篇1節―6節
2.イザヤ書61章10節―11節
3.ピリピ人への手紙3章1節―16節
<メッセージ>
通常、人々が喜ぶ時は、今年4月、小惑星に到達したはやぶさ2号が人工的に爆発させてクレーターを作った際に噴き出した地下の物質は太陽光などの影響を受けず、リュウグウが生まれた頃の状態を保っていると見られるような報告がなされましたが、まだ4ヶ月あまりで結論を出すのは早いように思われますが、昨日は、はやぶさ2号がリュウグウに再着陸し、小惑星内部の物質を採取したのは世界初の快挙で、それを地球に持ち帰れば太陽系の起源を探る研究に役立つと期待し、やがてどのような影響を宇宙にもたらすかを考えずに大喜びをしていましたが、創世記1章はすべての起源は神にあることをはっきり語っていますが、それを信ぜずに行なっている行為は、神が創造された秩序を破壊しているように思い、コリント人への手紙 第一 1章20節が語ってるように、この世の知恵の愚かさを思わされます。一方、ローマ人への手紙4章25節―5章5節は「主イエスは、私たちの罪のために死に渡され、私たちが義と認められるために、よみがえられたからです。ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。また、キリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりでなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」と状況に左右されない喜びの存在を語っています。今日の聖句「いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。」は、迫害にあい、囚人として拘束され、自由を奪われていたパウロのことばです。かつて奴隷として売られ、全く自由のない一生を過ごされた黒人の方々は、黒人霊歌の歌詞にはパウロと同じように主イエス様を仰ぎ見て、やがて神とともに永遠に生きることができる希望を喜んで信仰に生きたのでした。試練や苦悩が襲ってきたとき、心が元気を失い疲れ果ててしまわないように十字架に架けられたイエス様のことを(ヘブル人への手紙12章2節ー3節)、前述のローマ人への手紙5章1節―5節を思い起こし、キリストに生きているどうかを吟味させてくださっている恵みの時と捉え、試練や苦悩も私たちの信仰の糧であることを、神の裁きから救ってくださり永遠のいのちを与えてくださっているイエス様がともにおられることを喜び、主がすべてを益としてくださることを感謝して生きようではありませんか(ローマ人への手紙8章28節)。