聖書箇所

熱心に善を捜し求める者は恵みを見つけるが、悪を求める者には悪が来る。(箴言11章27節)

<関連聖句>

1.創世記41節―16
2.ローマ人への手紙715節―83
3.エペソ人への手紙21節―10

<メッセージ>

イエス様は「あなたがたの中で、子どもが魚をくださいというときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。卵を下さいと言うのに、だれが、サソリを与えるでしょう。してみると、あなたがたも、悪い者であっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちにどうして聖霊をくださらないことがありましょう。(ルカの福音書11章11節―13節)」と、仰せられたように、人は神の御姿に造られたので、心では良いことをしようという思いがどなたにでもあるのではないでしょうか。ただ、パウロが「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行なっています。もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行なっているのは、もはやわたしではなくて、私のうちに住む罪です。そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。・・・私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょう。」と心の葛藤を語ってから「キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。」と、今日の聖句が「熱心に善を捜し求める者は恵みを見つけるが、悪を求める者には悪が来る。」と語っているように、恵みとまことに満ちておられるキリストに答えを見出したのです。テモテへの手紙 第二 3章13節は「悪人や詐欺師たちは、だましたりだまされたりしながら、ますます悪に落ちて行くのです。」と語っていますが、アベルを殺害したことを指摘されたカインが「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。」と告白すると主は恵みを与えたのでした(創世記4章1節―12節)。ご両親とは真逆の生き方を選んで奴隷商人になったジョン・ニュートンはキリストを信じて牧師になり、ご自分の証として「驚くべき恵み」を書かれました。母親はニュートンが小さい時に召されていましたが、その背後に父親の祈りがあったのではないでしょうか。心の葛藤に悩まされている方々がパウロと同じように恵みに満ちた主イエス様を知ることができるように、イエス様はどんな罪人をも救うことのできる方ですから、悪人や詐欺師になんとか福音が届き、ニュートンのように恵みに生きる者とされ、悪から離れることができるように祈ろうではありませんか。