聖書箇所

一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きをしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。(ローマ人への手紙12章4節―5節)

<関連聖句>

1.コリント人への手紙第一14節―17
2.コリント人への手紙第一31節―9
3.エペソ人への手紙41節―25

<メッセージ>

人はとかく自分と他者を比較しながら、優越感に浸ったり、劣等感に悩んだりするような生き方をしてしまいがちなのではないでしょうか。しかも、趣味や価値観を等しくする人々によって多くの共同体が存在していますが、時が経つのにつれて、表面上はうまくいっているように装っていても、党派心やねたみや争いが水面下にあることがあるのではないでしょうか。福音書の弟子たちの間には、この中でだれが一番偉いだろうかという論議が起きたのでした。そのような弟子たちに、イエス様は「異邦人の王たちは人々を支配し、また人々の上に権威を持つものは守護者と呼ばれています。だが、あなたがたは、それではいけません。あなたがたの間で一番偉い人は一番若い者のようになりなさい。また、治める人は仕える人のようでありなさい。(ルカの福音書22章24節―26節)」と世の人々のように生きないように仰せられたのでした。聖霊が下り、聖霊の御支配の中に生きる者となった弟子たちの生き方は変えられたのでした。パウロは今日の聖句の前に「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いこrとで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために心の一新によって自分を変えなさい。私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。」と、語ってから今日の聖句「一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きをしないのと同じように、大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。」と、言われました。他のキリスト者と自分を比較して「私には賜物がない」とか「私の信仰は弱い」と自己卑下するようことをせず、すべてのキリスト者が、信仰は神によって与えらていることを、信仰を完成させてくださる方はイエス様であることを心にしっかり据えて、各自がキリストのからだの一部であることを、今与えられている信仰を喜んで、互いに助け合って生きるなら、聖霊様によって与えられている神の愛(ローマ人への手紙5章5節)に満ちた初代教会のようなこの世にはない共同体になり、主が救われる人々を仲間に加えてくださるのではないでしょうか。