聖書箇所

私の名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。(イザヤ書43章7節)

<関連聖句>

1.ヨハネの福音書1718節―24
2.エペソ人への手紙21節―10
3.ペテロの手紙 第二11節―4

<メッセージ>

パウロはこの世の人々にとっての神は彼らの欲望であり、彼らの栄光は彼らの恥であることを、その理由として「彼らの思いは地上のことだけです。」(ピリピ人への手紙3章19節)とあげていますが、それだけでなく、イエス様を信じていないと罪の解決を持っていないがゆえに、生まれながら神の御怒りを受ける立場にあったのですが、あわれみ豊かな神は、御子イエス様をお遣わしになり、罪の代価を十字架で支払ってくださり、キリストにあって生きる者とされただけでなく、イエス様を信じるなら、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られ、信仰によって与えられる神の義に生きる者とされ、神の怒りからも救われているのです(エペソ人への手紙2章1節―10節、ローマ人への手紙5章9節)。ところで、イザヤ書42章8節は「わたしは主、これがわたしの名。わたしの栄光を他の者に、わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。」とイザヤ書48章11節には「わたしはわたしの栄光を他の者には与えない。」と語っていますが、イエス様は「わたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。(ヨハネの福音書17章32節)」とキリスト者には神の栄光が与えられていることを、しかもペテロの手紙 第一 5章10節が「あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。」と、死によって消滅するようなこの世の栄光ではなく、永遠の栄光をであることを語っています。今日の聖句は「私の名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」と、自分や人の評価がなにを言おうと、すべてのキリスト者は、主の栄光のためにキリストにあって新しく創造されていることをお互いに自覚して生きようではありませんか。