聖書箇所

義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。(箴言4章18節)

<関連聖句>

1.マタイの福音書514節―16
2.コリント人への手紙 第二36節―18
3.コリント人への手紙 第二4章13節―18節

<メッセージ>

ソロモンは「私は見た。光がやみにまさっているように、知恵は愚かさにまさっていることを。知恵ある者は、その頭に目があるが、愚かな者はやみの中を歩く。しかし、みな、同じ結末に行き着くことを私は知った。私は心の中で言った。『私も愚かな者と同じ結末に行き着くのなら、それでは私の知恵は何の益になろうか。』私は心の中で語った。『これもまたむなしい』と。事実、知恵ある者も愚かな者も、いつまでも記憶されることはない。日がたつと、いっさいは忘れさられてしまう。知恵ある者も愚かな者もともに死んでいなくなる。私は生きていることを憎んだ。日の下で行われるわざは、私にとってはわざわいだ。すべてはむなしく、風を追うようなものだから。(伝道者の書2章13節―17節)」と、「日の下」すなわち、神を考慮しないこの世に、地上のことしか考えていないなら、どんなにむなしく絶望的なものであるかを語っています。確かに、家柄が良くても、知能指数が高くても、どんなに財産があっても、すべての人に死が臨ことは明らかなことですが、この世や人の知恵は死の解決をもたらしません。しかし、あわれみ豊かな神は御子イエス様をこの世にお遣わしになり、イエス様を信じる者は「死んでも生きる(ヨハネの福音書11章25節)」という道を開いてくださったのです。聖霊に満たされたペテロは「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける希望を持つようにしてくださいました。(ペテロの手紙 第一1章3節)」と、パウロは「たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。(コリント人への手紙 第二4章16節)」と、私たちの肉体は世の人々と同じように衰えていきますが、それに反して、イエス様をご存じない人々と違って内なる人は日々新しくされることを、コリント人への手紙 第二3章18節は「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」と語っています。ですから、今日の聖句は「義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。」と、キリスト者に与えられている特権を語っているのではないでしょうか。日々、栄光の主であり、信仰の完成者であるイエス様を見上げるとともに、宣教の働きを主が祝してくださり、絶望の中にいる人々が救われるように祈ろうではありませんか。