聖書箇所

ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。(詩篇20篇7節)

<関連聖句>

1.箴言2130節―31
2.エレミヤ書923節―24
3.ルカの福音書10章17節ー19節
4.使徒の働き3章1節ー16節

<メッセージ>

国際情勢を見ると経済力や軍事力によって国の強さが決定されていることをまざまざ報道によって見せつけられていますが、それは今日の聖句が「ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。」と語っているように今に始まったことではないことがわかります。デボラはバラクに「イスラエルの神、主はこう命じられたではありませんか。『タボル山に進軍せよ。ナフタリ族とゼブルン族のうちから一万人を取れ。わたしはヤビンの将軍シセラとその戦車と大軍とをキション川のあなたの所に引き寄せ、彼をあなたの手に渡す』」と告げたのでした(士師記4章6節―7節)。シセラは戦車九百両全部と、自分といっしょにいた民をみな、ハロシェテ・ハゴイムからキション川に呼び集めたので、デボラはバラクに「さあ、やりなさい。きょう、主があなたの手にシセラを渡される。主はあなたの前に出て行かれるではありませんか。」と言ったのでバラクはタボル山から下り、一万人が彼について行くと、主がシセラとそのすべての戦車と、すべての陣営の者をバラクの前に剣の刃でかき乱したのでシセラの陣営は全滅しただけでなく、戦車から飛び降り徒歩で逃げたシセラも、結局へベルの妻ヤエルによって殺害されたのですが(士師記4章13節―22節)、シセラが戦車から飛び降りた事と「キション川は彼らを押し流した。昔からの川、キション川。(士師記5章21節)」とデボラとバラクが賛美したことから、戦車が威力を発揮できない状況、洪水が起きたことがわかります。ソロモンは戦車一千四百台、エジプトやケペから馬を手に入れていましたが、彼は自分の所有している戦車や馬を誇らずに「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである」と、今日の聖句「ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。」と同じようなことを語っています。どんなに経済力があろうと力があろうと、罪や死に勝利する力はありませんが、主の御名は人々を悪霊からも解放する力があり、主の御名を呼び求めるものは、だれでも救われるのです(ローマ人への手紙10章13節)。ですから、ペテロは「天の下で主の御名のほかに私たちが救われるべき名は人に与えられていないのです。」と証しされました。人々の救いのために、世界中の放蕩娘、放蕩息子の信仰を主が回復してくださるように主の御名をもって祈ろうではありませんか。