聖書箇所

何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。(ヨハネの手紙 第一5章14節)

<関連聖句>

1.列王記 第一33節―13
2.列王記 第一1819節―39
3.詩篇371節―5

<メッセージ>

イエス様は「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなざわを行います。わたしが父のもとに行くからです。またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。(ヨハネの福音書14章12節―14節)」と、また「あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。(ヨハネの福音書16章24節)」と仰せられましたが、ヤコブの手紙4章1節―4節は「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。貞操のない人たち。世を愛することは神に適することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。」と、祈りの動機について語るとともに世と調子を合わせて生きることは何を意味するかを語っています。イエス様は「また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただ繰り返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。(マタイの福音書6章7節―8節)」と仰せられたことを、今日の聖句「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」を心に据え、その祈りや願いが神に喜ばれているかどうか、どの方向に向いているのかを吟味するなら、おのずと神のみこころかどうかわかるのではないでしょうか。神の願いはすべての人が救われて真理を知ることですから、パウロが「まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」と勧めているように人々がイエス様を信じられるように祈ろうではありませんか(テモテへの手紙 第一 2章1節及び4節)。