ペテロの手紙 第一3章18節

キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊において生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。

<関連聖句>

1.詩篇8612節―15
2.詩篇1391節―16
3.エペソ人への手紙2章1節―9節

<メッセージ>

アダムとエバは悪魔の偽りのことばを信じて善悪の知識の木から取って食べて罪を犯したことにより自分たちが裸であるのを知ってイチジクの葉をつづり合わせて腰のおおいを作ったことに見られるように「恥」が、そして神である主の声を聞くと自分たちが裸なので、恐れて園の木の間に身を隠したように「恐れ」を持つ者(創世記3章4節―10節)となっただけでなく、主がアダムに「善悪の知識の木から取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。(創世記2章17節)」と仰せられたように人類に死が臨ことになったために、すべての人は死の恐怖から逃れられない存在になってしまったのですが、聖書が語る「死」は単に肉体の死だけでなく、パウロがエペソの聖徒たちにイエス様を信じる前は自分の罪過と罪の中に死んでいた者であったことを語っているように(エペソ人への手紙2章1節)「霊的な死」と死後、この世での行いに応じて裁かれ、永遠に昼も夜も地獄で苦しみ続ける永遠の死、すなわち第二の死(黙示録20章6節)がありますが、キリスト者は死後、神のさばきに会うことなく、すでに死からいのちに移っているために(ヨハネの福音書5章24節)、霊的な死や第二の死から完全に救われているのです。そして今日の聖句が「キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊において生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。」と語っているように、キリスト者は肉体に死がおとずれると、十字架に架けられた犯罪人のひとりがイエス様に「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」と申し上げると、イエス様が「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」と仰せられたように、神のもとに帰還するのです。死があっての復活であり、しかも「主の聖徒たちの死は主の目に尊い。」と詩篇116篇15節は語っています。明日のイースター礼拝に多くの方を主がお導きくださるように、イエス様を信じる方々を起こしてくださるように祈ろうではありませんか。