私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。(伝道者の書 3章14節)
1.歴代誌第二20章1節―26節
2.詩篇118篇1節―4節
3.ヨハネの福音書1章14節―18節
4.ローマ人への手紙7章18節―8章3節
ヨハネは「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。・・・私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである。というのは、律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストにあって実現したからです。」とイエス様がどのような方なのかを証しされてから、「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとりのひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」と、イエス様だけが神がどのような方なのかを人類に示してくださったことを語っています。今日の聖句が「私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。」と語っているように、ダマスコの途上でイエス様から声をかけられキリスト者となったパウロは「肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。(ローマ人の手紙8章3節)」と、また「神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いとして、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。(テモテへの手紙第一2 章5節―6節)」と語るとともにキリスト・イエスにある神の愛からキリスト者を引き離すことができるものは何もないことを確信しておられました(ローマ人への手紙8章38節―39節)。今日の聖句が「人は主を恐れなければならない」と、恐れ、すなわち、畏敬の念をもって主を礼拝することを命じておられます。ヨシャパテは大軍が攻めて来ることを知って恐れましたが、ただ主だけに目を注ぎ、「主の恵みはとこしえまで」と賛美すると主は伏兵をもうけてくださり、残党は同士討ちして主は勝利を与えられたのでした。主の恵み、キリスト・イエスにある神の愛は永遠のものであることを忘れずにヨシャパテのように主を仰ぎ見て、主を誉めたたえて生きるように心がけようではありませんか。