義は平和をつくり出し、義はとこしへの平穏と信頼をもたらす。(イザヤ書32章17節)

1.イザヤ書9章6節―7節
2. ヨハネの福音書14章1節―6節及び22節―27節
3.ローマ人への手紙3章19節―28節
4.エペソ人への手紙2章14節―19節

パリサイ人として律法による自分の義に生きていた時のパウロはキリストを信じる信仰によって神から与えられる義を知らずにユダヤ人の指導者や律法学者たち、祭司長たち同様ナザレ人イエスの名に強硬に敵対すべきとか考えて祭司長たちから権限をいただいてキリスト者を迫害していたのですが、キリスト者となったことによって同胞のユダヤ人から迫害されながらもパウロは「兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。」と語ってから「しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。」とユダヤ人の問題点を指摘されました(ローマ人への手紙10章1節―4節)。キリスト者を迫害していたかつてのパウロのように律法による自分の義は、平和をもたらすどころか、人々を見下したかぶったり、死をもたらしたりしたのでした。今日の聖句が「義は平和をつくり出し、義はとこしへの平穏と信頼をもたらす。」と、語っている義は十字架をもって隔ての壁を、罪を取り除いてくださったキリストご自身であり、復活をもって、この世が与えることのできないとこしえの平穏と信頼をもたらしてくださったのでした。自分の義ではなく神の義であるキリストにある者として生きるように心がけようではありませんか。