たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。(詩篇51篇16節―17節)

1.創世記4章3節―17節
2.詩篇34篇18 節ー22節
3.イザヤ書57章15節ー19節
4.ローマ人への手紙7章19節ー8章3節及び33節ー39節

アベルとそのささげ物とに目を留められたのに、主がカインとそのささげ物には目を留められなかったので、主から「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行なっていないなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」と警告を受けていたにもかかわらず、弟を殺害してしまったので主から「今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」と言われたカインが「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者は、だれでも、私を殺すでしょう。」と、自分の非を認めて申し上げると、今日の聖句が「たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」と語っているように、主は彼が殺されないように一つのしるしをくださったのでした。その地は作物を植えても収穫を得られないためであり、主がその地から追い出されたのはカインが生きるためであり、彼はさすらう者ではなく、ノデに地に住み町を建てたのでした。自分のみじめさを自覚されたパウロはキリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことができるものは何もないことを知ったのでした。私たちは多くの点で間違いをしますが、後悔の念に捉われ、自分のみじめさに座り込むのではなく、罪に定められないように祈っていてくださる主を仰ぎ見て救われていることを喜んで生きるように心がけようではありませんか。