主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。(歴代誌第一16章11節)

1.詩篇105篇1節ー7節
2.イザヤ書40章27節ー31節
3.ヘブル人への手紙12章2節ー3節
4.ペテロの手紙第二1章1節ー3節 

イエス様はペテロの信仰がなくなるような状況に陥ることを知っておられ、「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と仰せられたにもかかわらず、ペテロが「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろと、覚悟はできております。」と、申し上げると、イエス様は「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」と仰せられたのでした。ペテロは、三度目にイエス様のことを知らない、と言った時、イエス様が振り向かれたので、イエス様のおことばを思い出して外に出て激しく泣いたのでしたが、聖霊に満たされた彼は「神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。というのは、私たちをご自身の栄光と徳によってお召しになった方を私たちが知ったことによって、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔に関するすべてのことを私たちに与えるからです。(ペテロの手紙 第二1章2節―3節)」と、キリスト者が生きる上で必要なのは神の力であることを語っています。パウロは「ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かでしょうが、しかし、ユダヤ人であってもギリシャ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。(コリント人への手紙第一1章23節ー24節)」と、ヘブル人への手紙12章2節ー3節は、信仰はイエス様によって与えられ完成されることを、私たちの心が元気を失い、疲れ果てないためにイエス様から目を離さないように勧めています。今日の聖句は「主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。」と、力だけでなく、常に御顔を求めるように勧めています。神の力、神の知恵であり、恵みとまことを実現され、この世が与えることのできない平安を与えてくださる主の御顔を仰ぎ見つつ生きるように心がけようではありませんか。