主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。(詩篇19篇7節)
1.詩篇23篇1節ー3節
2.ヨハネの福音書6章53節ー69節
3.テモテへの手紙第二3章14節ー15節
4.ヨハネの手紙第一5章5節-13節
世には多くの教えがあり、一時期はスパルタ教育が、その反動でしょうか、放任主義が台頭しましたし、心理学においても、仏教界においても自力本願と他力本願があり互いに対立し、今は変わったようですが、かつてはお坊さんが同じ部屋にいることができないような状況があったようです。そのように人間の教えは時代によって変わってしまいますし、国によって人の価値観や考え方の違いがあり人々を惑わしてしまうのではないでしょうか。パウロは「キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。あのむなしいだましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。それは人の言い伝えによるもの、この世の幼稚な教えによるものであって、キリストによるものではありません。(コロサイ人への手紙2章7節ー8節)」と警告しています。ダビデは「主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。」と語るとともに、「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。」とは私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。」と、主が導き手であり、主の証は確かであることを、主の教えは私たちのたましいを励まして、元気づけてくださることを証しています。政治家は当選するために多くの公約を掲げますが、よく考えると自分のためではないでしょうか。イエス様は、エルサレムで苦しみに会い、殺されますが三日目によみがえることを話されただけでなく、実際そのようになったのでした。ことばだけでなく主の証が確かなことをご自身の死と復活をもって証明されたのでした。主は私たちのためにご自身捧げてくださいました。パウロはエペソの長老たちに「もう二度と私の顔を見ることはないでしょう。」と言われたので、「いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。」は彼の遺言のようなものでした。主の教えである恵みのみことばをしっかり握って生きるように心がけようではありませんか。