さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。(詩篇95篇1節ー2節)

1.ネヘミヤ記8章1節ー12節
2. 詩篇100篇1節ー5節
3.ピリピ人への手紙4章4節ー7節
4.テサロニケへの手紙第一5章15節ー18節

ペテロはイザヤ書28章16節を引用されて「見よ。わたしはシオンに、選ばれた石、尊い礎石を置く。彼に信頼する者は、決して失望させられることがない。」と語ってから「したがって、より頼んでいるあなたがたには尊いものですが、より頼んでいない人々にとっては、『家を建てる者たちが捨てた石、それが礎の石となった』のであって、『つまづきの石、妨げの岩』なのです。」とイエス様について語っています。ヨハネの福音書3章16節ー17節が「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」と、十字架上で「完了した(ヨハネの福音書30節)」と仰せられたように、救いはイエス様によってもたらされただけでなく、復活をもって死に勝利するいのちがあることを証明されたのでした。ですから、今日の聖句は、まず「さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。」と、そして「感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。」と、詩篇100篇4節が「感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、入れ。」と勧めているように、日々の生活において主に感謝をもって祈りや願いを申し上げるとともに、パウロが「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。」と語っているように祝福されていることを、勝利が与えたれていることを、サッカーで日本が勝利した時のサポーターはじめ日本の多くの人々が喜び叫びましたが、ブラジルに負けると健闘を讃えましたが、喜びが悔しさに変わってしまいましたが、私たちに与えられている勝利がどのようなものかを思って喜ぼうではありませんか。