人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。その人は倒れてもまっさか様に倒されはしない。主がその手を支えておられるからだ。(詩篇37篇23節ー24節)

1.詩篇18篇30節ー34節
2.詩篇73篇1節ー24節
3.ルカの福音書22章31節ー62節
4.ペテロの手紙第一1章18節ー21節 

ソロモンは、「日の下」、すなわちこの世を見て「私はまた、あらゆる労苦とあらゆる仕事の成功を見た。それは人間同士のねたみにすぎない。これもまた、むなしく、風を追うようなものだ。(伝道者の書4章5節)」と語るとともに「私は再び、日の下を見たが、競争は足の早い人のものではなく、戦いは勇士のものではなく、また、パンは知恵のある人のものではなく、また富は悟りのある人のものではなく、愛顧は知識のある人のものではないことがわかった。すべての人が時と機会に出会うからだ。しかも、人は自分の時を知らない。悪い網にかかった魚のように、わなにかかった鳥のように、人の子らも、わざわいの時が突然彼らを襲うと、それにかかってしまう。(伝道者の書9章11節ー12節)」と、努力をしてもそれがかなえられるという保証がないばかりか、箴言27章1節も「あすのことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないからだ。」と語っているよう、人は当たり前のように生活していますが、実はこの世は人に保証を与えることができないことを語っていますが、今日の聖句は「人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。その人は倒れてもまっさか様に倒されはしない。主がその手を支えておられるからだ。」と、主はこの世が与えることができない保証を与えてくださることを語っています。イエス様はサタンの試みに会うことになり、信仰をなくしてしまうような状態に陥ることをご存知で、ペテロに「わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。」と、仰せられたのでした。ペテロはイエス様が預言されたように三度イエス様のことを知らない、と言って挫折しましたが、死からよみがえられたイエス様にお会いし、聖霊に満たされたペテロは「あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。(ペテロの手紙第一1章21節)」と証しておられます。箴言3章6節が「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」と語っているように、「どうして」と思うような予想外、予定外のことが起きても、信仰がなくならないように祈っていてくださる主が私たちを支えてくださっていることを忘れないようにしようではありませんか。