わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。(ヨハネの福音書10章14節)

1. 詩篇23篇1節ー6節
2. 詩篇139篇1節ー16節
3.ルカの福音書19章1節ー9節
4.ヘブル人への手紙4章12節ー16節

ダビデはサウル王に「しもべは、父のために羊の群れを飼っています。獅子や、熊が来て、群れの羊を取っていくと、私はそのあとを追って出て、それを殺し、その口から羊を救い出します。それが私に襲いかかるときは、そのひげをつかんで打ち殺しています。このしもべは、獅子でも、熊でも打ち殺しました。あの割礼を受けていないペリシテ人も、これらの獣の一匹のようになるでしょう。生ける神の陣をなぶったのですから。獅子や、熊の爪から救い出してくださった主は、あのペリシテ人の手からも私を救い出してくださいます。(サムエル記第一17章34節ー37節)」と、申し上げたように、羊飼いの働き、すなわち牧者の働きはいのちがけであることと主がどのような方なのかを良く知っておられたのでした。イエス様は「わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同様です。また、わたしは羊のためにわたしのいのちを捨てます。」と、人を救うためにご自身を捧げることを話されたのでした。ヨハネの福音書2章24節ー25節に、イエス様は、すべての人を知っておられただけでなく、人のうちにあるものを知っておられたので、人についてだれの証言も必要とされなかった、とあります。イエス様はいちじくの木に登っていた取税人に対してザアカイと彼の名を呼ばれただけでなく、彼の家に泊ることを告げたのですが、彼がどのような行動をするのかをもご存知だったのではないでしょうか(ルカの福音書19章1節ー10節)。主は私たちのことをよくご存知ですが、私たちは主をどのように知っているでしょうか。ダビデは「主は私の羊飼い。」と告白しているように、主は養い、導き、守ってくださる方であり、いつくしみと恵みに満ちておられる方であることを知っていたがゆえに自分の考えや思いで行動して窮地に陥ると、いつも主に立ち返りました。信仰の完成者であり、恵みとあわれみとまことに満ちておられる良い牧者であるイエス様に拠り頼む信仰生活をおくろうではありませんか。